2010年10月28日木曜日

尾崎喜八が辿った八ヶ岳山麓



詩人で登山家である尾崎喜八(1892年~1974年)は昭和9年1月の正月に小淵沢駅から小海南線で終着駅の清里駅に降り立つ。ここから野辺山~御所平(泊)~信州峠~黒森~増富温泉(泊)を歩いている。その時の山行を「山の絵本」に記している。長い文章の一部を下記に記します。(平仮名の表記は原文のまま)

さようならよ、国界の小さな子供達!この小父さんは又来るだろう。甲斐や信濃で山々を吹く風が、とほく都へ伝はつて来る時、小父さんは杖とり上げて君達の方へさまよひ来ずにはいられまい。だが多分今度の時には、君達の家のうしろを高原列車といふのが走り、都会の凡庸と軽薄とが、此の素朴で大らかな野辺山一帯に、百貨店の包紙といっしょに撒き散らされる事になるだろう。
それならば、これが「さらば アデユー」だ。思い出の中でのみ滅びないものよ、さらば!


小海線の清里駅と小海駅が全線開通したのは昭和10年11月29日である。尾崎喜八は昭和7年10月8日にも韮崎駅からバスで箕輪新町まで乗り、そこから弘法坂~野辺山~海の口まで歩いている。この時の山行記も「山の絵本」に記している。八ヶ岳山麓の風景が余程好きだったのだろう。

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