2008年12月8日月曜日

念場ヶ原(清里高原)の歴史(ぱーと3)


ペンション経営も古い人で30年が経過し昭和50年代から若い人たちに支持された清里高原もいつしか陳腐な観光地へと推移し始めました。平成10年ころから次第に観光客数も減少しペンションも新鮮さが薄れ普通の宿泊形態へと変化し新たな客層の獲得の努力が必要になりました。

ペンション経営者も転売を余儀なくされ転出者も多くなり次第に勢力も小さくなり始めました。

山梨の方言で「きたれ者」という言葉がある。昔むかしは念場ケ原は海抜が高く水利もなく人間が暮らせる土地ではなかったのです。

多少入植が速いといつの世も後から来たものに対して「きたれ者」と蔑む空気があるようです。念場ケ原は大昔から「きたれ者」が連続した土地とも言えるようです。

私たちペンション開業者たちも「きたれ者」を古いもので約30年続けています。ここ2~3年は退職者たちが「終の棲家」を求めて山麓に移り住み始めました。念場ヶ原の一番新しい「きたれ者」の出現です。

念場ケ原はどんな推移を辿りどのような発展をするのでしょうか。八ヶ岳の主峰赤岳が静かに見守ることでしょう。終わり

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