2009年11月2日月曜日
小春日和と雑木林
私は晩秋の陽射しが落ち葉の上に樹陰を長く引いた森の中を歩くのが好きです。シジュウカラやヤマガラの混群が小枝を賑やかに渡り時折、カケスがギャーギャーと鳴きながらどんぐりやヤマグリを啄む姿をぼんやりと見ながら小春日和の午後に夕暮れまで歩くと不思議に心が落ち着きます。
ふるさとの日光市の山の中で育った私は小学生の高学年になると堆肥にするための落ち葉拾いを良く手伝いました。学校から帰ると孟宗だけで編んだ大きな(子供にとりとてつもない大きさ)籠に落ち葉を足でギュウギュウと押し込み一杯になった籠を背負い雑木林から堆肥小屋まで何回も運びました。疲れると堆肥小屋のふかふかとした落ち葉の中で居眠りをしました。
今では化学肥料に取って代わられて落ち葉の堆肥など使用しない時代になったようです。山間地ばかりか都市近郊の里山も荒れ果ててしまったようです。落ち葉拾いが終わると冬の燃料にする薪拾いや漬物や干し柿や乾燥芋作りをして冬眠(?)生活に備えました。
高度成長時代を経て貨幣経済が発達し山里生活も冬眠(?)しなくても良い時代に変化したようです。文明の利器を手にした人々はもう昔へと後戻りは叶わぬものとなったようです。先日の新聞で人間の「幸福度」を研究している外国の学者のことが載っていました。経済状況が発展途上の時は「富」と「幸福」は比例しているが経済があるレベル以上になると必ずしも一致しなくなると述べられていました。
私が育った時代は「富」を求めて走り続けたように思います。いつの間にか気が付いたら「幸福」を追い越してしまっていたようです。私は「青い鳥」を求めて今でも苦悩し続けています。
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