2008年11月4日火曜日
焚き火の歴史
八ヶ岳の主峰赤岳が白く雪化粧をして山麓も木々の葉が落ち晩秋から初冬へと移ろい始めました。
私が生まれた集落から中学校までは片道4kmあり毎日歩いて通っていました。集団登校のため集合場所で待っている間、晩秋から春先までは寒いのでマッチを各自持っていて杉葉や枯れ枝を燃して暖をとっていました。現在ではこんなことをしていたら退学処分になりそうですが昔は「火事にならないよう気をつけろよ」などと大人たちはあまり気にしなかった。
スケート、そりすべり、魚とりなどをするときに寒さを凌ぐためや衣服が濡れると母に叱られるので乾かしたりと常に「火遊び」をしていました。不思議に誰一人として火事を起こしてしまう様なことにはなりませんでした。
私は自然の火である「焚き火」を見るとなぜか心が落ちつきます。少年時代の名残でしょうか。火の中にサツマイモやジャガイモやヤマグリなどを入れて焼きあがるのを待っている楽しさを懐かしく思い出します。
現在は焚き火も温暖化になるので一般家庭ではご法度になってしまったようです。童謡「たき火」には以下の歴史があったそうです。
「たき火」 作詞 渡辺 茂 作曲 巽 聖歌
(1) 垣根の垣根の 曲がり角
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
北風ピープー ふいている
(2) さざんかさざんか 咲いた道
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
しもやけ おててが もうかゆい
(3) 木枯らし木枯らし 寒い道
たき火だたき火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
相談しながら 歩いてる
童謡「たき火」をご存じの方は多いと思います。しかしこの曲が、1941(昭和16年)12月9日、すなわち日米開戦の翌日、初めてラジオで放送されたのをご存じの方は少ないでしょう。
この曲が3日続けて放送されたところで戦争が始まったため、軍部から禁止令が出て、戦時中はついに放送されることはなかったそうです。
禁止の理由は、「落ち葉は貴重な資源だ。風呂くらい沸かせる。たき火は敵機の目標になる」というものでした。
北海道新聞のコラム「卓上四季」は、このことを紹介し、作詞者の巽聖歌の師、北原白秋の「この道はいつか来た道」になるのだろうかと書いています。
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